大学生的な遊び

部屋に入ってきたお母さんが机の上に散らばったビール(というか発泡酒)の缶を見て「家の(ビール)飲まないでね」と言われて「ひー殺しちくりー!」ってなった。
これはツイッターに書けばいいヤツ。
じゃあブログに書くべき事っつーのは一体なんなんだ?という話になる。
ツイッターにはヘラヘラした事書いてブログには真面目な事を書くとなるとそれはなんか違うというかそれは気持ち悪いだろ、なんか。
真面目に書くために真面目に書くとか、面白い事を言うために面白い事を言うとか、そいういうマッチョな事をしようとするとたちまち何も書けなくなるし、それはやっぱりなんか気持ち悪いだろ。
俺が大学生的な遊び(最たるものはスポッチャ、あれは闇だ)が苦手なのもそういう直結型でマッチョな部分が気持ち悪いからだと思う。友達と遊ぶためにカラオケに行く。遊ぶためにボーリング場に行く。遊ぶためにディズニーランドに行く。そういうえげつない物理法則に支配された遊びがどうしても好きになれない。いざ行けばそれなりに面白かったりするんだけどそういう問題じゃない。
だから、というわけでもないけど飲み会は比較的好き、あのグダグダした感じは部活ドの帰りにサイゼリアで2.3時間粘ってダラダラ話してた時の感覚に近くて良い。
俺は小学生だぞ!!は冗談だけど俺は高校生だぞ!!は割りと本当にある気がしてて、というよりみんな本当は高校生よろしくサイゼリアでダラダラするのが好きなのによく分からない「大学生的な行動」なる共同幻想に従わなければと無意識に思ってるだけなんじゃねぇの?大学生はみんな高校生なんじゃねぇの?

大学で就職活動に関するセミナーがありました。虚無でした。おわり

ネットジャンキー

講義受けてる途中にiPhoneの充電が切れてしまって、モバイルブースターも丁度友達の家に忘れて手元になかったからauショップの中にある有料の充電器に二百円払って充電した。
充電が終わるまで時間がかかるから駅前にあるカフェで時間潰してたんだけど、ふと自分が電車の中でネット、もっと言えばツイッターする為になんの疑問も持たず二百円払ってた事に気がついた。こうやって漠然としてた物が金銭的価値に置き換えられて明確になってくるともしかして俺は知らぬ間に頭がおかしくなっているんじゃないかと思えてくる。俺はインターネットなしでは生きられないネットジャンキーだ…脳みそをインターネット羊水漬けにして脳内麻薬ドバドバさせる基地外もどきだ…
物事、特にモラルに関わる事を金銭的価値に置き換えようとするとしばし事態がより悪化するみたいな話を聞いた事がある。規則の時間になっても園児を迎えに来ない親に頭を悩ませた保育園が時間に遅れた場合に罰金を課すようにしたら「金さえ払えば遅れてもいいんだ」と親に思わせてしまいむしろ遅れる親が増えてしまった、みたいな話だったと思う。
この話は確か何でも市場に任せるのは良くないみたいな文脈で出て来た気がするけど、今にして思えばこの話から得られる教訓は「何でも市場に任せるのはよくない」ではなく「市場に任せようとするなら徹底的にやらなけらばならない」という事なんじゃないかと思う。
罰金を然るべき額まで上げていけばいつかは遅刻する人は減るだろうし、偶発的に遅れる人が現れてもそれによる保育園側の損失は罰金で充分に補填されるんじゃないだろうか?
大分頭が良さそうな感じになってきたぞ、俺はインターネットジャンキーじゃないな…しかも手元にある本を見てみろ!今日だけで150ページぐらい進んでる!全然ネットジャンキーじゃないじゃないか!俺は出来る人間じゃないか!就活するぞ!!

大学生活をワイワイ楽しんでる系の人と話したりすると、この手の人達は順当に就職活動をして会社員になってしまったら恐慌状態になってしまうんじゃないかと心配になるし、彼ら自身怖くないのか、心配じゃないのかなと思う。例えば俺の大学生活は大学行ってバイト行って、暇な時間は家でダラダラしたりして、たまに友達と飲みに行って位のもんだから多分社会人になっても暇な時間が減るだけで死ぬほど面倒くさいけど特に怖くない。質の変化というよりは量の変化にすぎない。でも彼らは違くて毎日毎日あっちのサークルの練習に参加してこっちの会合に参加して、週末は彼氏彼女と遊んでと常に共同体と共同体を渡り歩きながら生活してるわけだけど。あの手の生活を社会人になっても維持できるとは思えなくて大学を卒業した瞬間に生活が一気に今の俺と同じ短調で糞みたいな感じになってしまってショック死してしまうんじゃないだろうか、不安である。
こんな事書きながらもなんとなく彼らは社会人としての生活にも何らかの形で(具体的にどうなのかは俺には想像も出来ないけど)楽しくワイワイ過ごす方法を見出すんだろうなとも思ってる。あいつらは偉いからな。

ブログにぐちゃぐちゃと書いてるけどこんなのは全部無意味だと思う。牛丼食って「美味い」とか人がぽこじゃか死ぬ映画観て「なんか面白い」とか、そういうのだけが本物で意味があることだと思う。(映画は”観る”かとか考えて書いちゃ駄目だ)

煙草を吸い始めてから何をするにもまず煙草を吸ってからじゃないと始められなくなってきてて、最近はネットしながら「エロゲしてぇなぁ…」と思ってもまず煙草を吸いにベランダに出てエロゲをするぞ!という覚悟を決めないと始められなかったりする。
俺にとって「したい」と「する」の間には結構分厚い壁があって、家に帰る電車に乗りながら「あのアニメみたいしゲームも進めたいし、あれもしたいな」と色々帰ったらしたいことが思い浮かんで早く家に帰ろうという気分になるんだけど、いざ家に帰ってくるとニコニコ動画で特に面白くもなんともないゲームの動画をボケーッと見て過ごしてしまったりする、書いてて可哀想な人みたいになってきた。意志薄弱。オナニーは特にしたくなくてもなんとなくでするのにね。

後悔とか劣等感とか、そういうマイナスな感情なんて糞の役にも立たない。安っぽい自己啓発書か。

本当に糞の役にも立たない。大学に入ってからは主にサークルに入らなかった事を後悔してはやたらに惨めな気分になってた。今年の上半期は流石になんかしなきゃなと思って自主的にインカレのゼミみたいな物に参加して、これはどこに出しても恥ずかしくない真面目でご立派な事をするゼミで、結構有意義に半年間過ごせて他大学に友人が出来たりと非常に良い感じだったんだけど、その活動が楽しければ楽しいほど「ああ初めからサークルに入ってれば四年間ずっとこんな感じでワイワイ過ごせたのに俺は何をしてたんだもう大学生活は一年間しか残ってないしそしたら後は働いて死んで終わりだ」みたいな事ばかり考えてしまってせっかくの良い感じも台無しになる。糞の役にも立たない。

そのゼミで知り合った友達に、こいつは凄く人間的によく出来てる奴なんだけど、そいつに「カードの支払ヤバイから唯一の趣味だったカメラ売らなきゃだわ」みたいな事をヘラヘラ話したらすごい真剣に「それはよした方が良くない?」と言ってくれた。いいやつだ。(結局カメラは売った、俺はクソだ)