中学生の同級生がLINEで同窓会をしようと呼びかけていた。
30人位は取り敢えずLINEのグループに入れたみたいだけど(俺も入った)、結局集まってるのは5人だけだったようだ。呼びかけてたのは中卒、高卒で今は鳶とか土方やってる人たちだったんだけど、なんというか悲しくなった。馬鹿にしてるとかではなく本当に悲しくなった。
俺たちは21歳で、もう中学生じゃないんだよ。彼らは「同窓会」と言っていたけど彼らがやろうとしてるのは中学生の時の遊びの延長でしかなくて決して「同窓会」じゃなかった。俺を含む25人の人たちはもうそういうのにうんざりしているし、そういうのから抜け出したいんだよ。そいういう事に彼らがまったく気がつけていない事が堪らなく悲しかった。

相変わらず就職活動は何もしていなくて、これは良くないなーと思う。良くない。
俺は本当に努力が出来ない人間で、「テスト一週間前からの勉強」みたいな事を一度も出来た事がない。自分への言い訳が天才的に上手いせいだと思う。
言い訳の上手さはお金を使う時にも発揮してしまっていて、「学費を自分で払ってると思えば」みたいな意味の分からない理由で浪費を正当化していたりする。頭が悪いんじゃないか?

就職活動を馬鹿にしてる一方で俺には出来ないとも思ってるせいで何が何だか分からないし就職活動に限らず大体の物事に対してもそういう相反するものを感じてる。

インドにでも行けば本当に人生変わるんじゃねぇの?と最近思う、普通に考えて楽しくワイワイインターネットしてるよりは変わるでしょ。
俺は、インターネットの魑魅魍魎達は自分達が碌でもない人間だという事実を見つめなければならない気がする。就職活動を真面目にしない事なんてなに一つ偉くないぞ、早くリクナビに登録してリクルートをナビゲートされろ。
前にインカレゼミの顔合わせの飲み会で「インドに行って人生変わった」みたいな話をしてきた人がいて、俺は案の定「あーこいつそういう人ねー」と思ったんだけど、その後ゼミの集まりとかで色々話してる内にそいつの言う事に普通に感心してしまったりして、そういう瞬間は本当にゲロ吐きそうになるくらい辛かったりする。
こんな事書きながらもツイッターの自己紹介に「人との出会いを大切にしたい」とか書いてる人を見ると「あぁこいつは馬鹿だ、愚かだ」と思ってしまうんだけど、これなんなんですかね?人との出会いを大切にするなんてどう考えても素晴らしい事だし誰一人損をしない心掛けじゃないか、パレート効率的だ。
結局のところ俺は(もっと言うなら俺たちは)英語の発音をネイティブ風に真面目にやるのをダサいと思う中学生の延長線上に生きてるんじゃないだろうか。

甲子園に出てる高校生が大人に見えてしまうというのにリクルートスーツを着て社会に出なければならないのかと思うとゾッとする。

「大学生なら女子高生とか簡単に食える」っていうの、本当に”理屈”は分かるなって感じだ。
 とてもセックスがしたい。愛のあるセックスがしたい。こうやって書くと冗談みたいになるけど本当に俺は愛のあるセックスがしたい。細かく説明するのは面倒くさいけどエロゲみたいな感じですね、ああいいうセックスがしたい。間違ってもソープとかじゃない。その気になればセックスくらい出来る気がするし、セックスをしたがってもいるのに何故かこうやって部屋で発泡酒飲みながらブログなんて書いてる、本当なんなんですかね?
 こうやってごちゃごちゃ言っても結局のところ俺はセックスが出来てないんだからもうまったくセックスが出来てないセックスが出来ない人間なんだよなぁ

 就職活動を頑張らないように頑張ろうかと思ってる。ここまでヘラヘラ生きてきたけどまぁなんとかなったし、就職活動さえヘラヘラと乗り切れれば後はもう40年ちょいの人生とことん舐めていけるんじゃないかと思う。

本屋でスピリチュアルが幸福の科学な本が並ぶコーナーに行くと「こういうのにハマってしまう人と比べられば俺はマシだなー」と思うんだけど、何がどうマシなのかはよく分からない。
俺は知り合いがツイッターとかLINEとかで何かを言ってるのをみるとすぐに「あぁこいつは馬鹿だ、考えが浅い」とか思って悦に浸るところがあって、それ自体か特に悪いとは思わないんだけど、ただ本当はこいつもすごい色々考えてたりしてるのにそれが上手く伝わって来ないだけなんじゃないかと思う事もあって、そうなってくるとあー辛いなーってなる。
コミュニケーションは絶望的に不全で、だから人と会話をすると思ってもない事がポロポロ口から出て来たり、真面目な話をしたいのにヘラヘラしてしまったりしてしまうんだけど、みんな案外そんな感じだったりするんだろうな。俺は人から「こいつはスゴイ」と思われたい欲求が多分人一倍強いんだと思うんだけど(それだって人が本当のところどう思ってるのかは分からない)、そう思われようと俺がなにしたってそいうのも相手には何も伝わらない気がして、あぁ辛いとなる。
昨日喫茶店で時間潰してたら黒人の人が近寄って来てなにやら身振り手振りしてきた。多分俺の使ってる灰皿が欲しいだろうと思ったから店員さんに頼んで灰皿を一つ貰って渡したらすっごいいい笑顔で何やら言ってきて、こういうのがあるから生きていけるなーと思った。

在日ファンクってバンドが「罪悪感」って曲を歌ってる。何しても罪悪感感じちゃうよねみたいな歌。本当にそうだと思う。
母の日とか父の日とか、そういう折々に親孝行したいなと思うんだけど、それも罪悪感からかもしれない。親の財布から金を盗んだ事あるし。
盗んだ日の少し前に家族旅行があったんだけど、俺はゼミの用事があって行かなかったから「まぁ俺が旅行に行ったと思えば一万位」みたいな言い訳を考えてて、そんな事を考えながら「本当に俺は碌でもない人間だな」とも思ってた。何より今でもその理屈はある意味では間違ってないと考える辺りが本当に碌でもないと思う。
親孝行なんて母の日に数千円出すだけで出来んだかしたけりゃすりゃいいんだけど、なんというか小っ恥ずかしいくて出来ない。この恥ずかしいってのは本当にあって俺は女性と話すのも恥ずかしいし真剣に何かをするのも恥ずかしいのかもしれない。
新宿駅でいかにも高卒といった服装の男たち(真っ白いチノパンにピチピチのパーカとDGのベルト、ああいうのどこで売ってるんだろう)が券売機で下り電車の切符を買ってた。ざまぁみろだ、俺は毎日のように定期で新宿まで、東京まで来てるんだぞ。俺は前に進んでるんだぞ。
本当に何から何まで罪悪感だと思う。

20世紀の経済史とか資本主義論とかやると絶対に「欲望の再生産」とか「計画的陳腐化」みたいな形で消費者が要らない物を欲しいと思わさせられてガンガン消費してしまうみたいな話が出てきて(横に無駄にデカいキャデラックの写真とか貼られる)、まぁバカだなーと思うんだけど、よく考えると自分の消費が本当に企業から与えられる欲望に左右されてないって言えるのかなとも思う。ニコニコ動画のプレミアム会員に俺は本当になりたいのか?
人間も動物だからきっと「こういう刺激をこうやって与えればこういう反応が引き出せる」みたいなのが絶対にあって、パチンコとか作ってる人たちはきっとそういうのに死ぬほど詳しいんだろうなと、スロットが回り始めてから止まるまでの時間とかまでコンマ単位で考えてそう。だからパチンコだけには手を出さないようにしてる。
人間なんて本当にただの動物だと思ってて、だいたいその場その場の衝動に任せて行動してるだろうと思うのに「あなたはその経験を通して何を得ましたか?」なんて聞かれると「はぁ?」となってしまう、また就活の話。
「AがしてBを得ようと思ったのでAをしました」みたいな英語の例文みたいな味も素っ気もない生き方をあたかもしているようなフリをしてる人が社会を構成してて本当怖い。何が「何を得ましたか?」だ俺の人生はRPGじゃねぇんだぞ糞が。「なんか何もしてなくて辛かったからAをして、まぁ楽しかったです」位の事しか答えられないし大体こういうのが正しいんでしょう。

けいおん!の登場人物も数年後には就活をするのかと思って「うわ!」ってなった。「働いて飯を食う為に働く、働く為に就活する」っていう風に書くと就活も結構えげつない営みだなと思う。平沢唯も動物だから飯を食う為に就活をする、動物だから、セックスもいつかはする、動物だから。えげつない。俺はアニメのキャラクターの中に純粋な理性だけで成り立ってる人間みたいな物を見て愛おしいと思ってるのかもしれない。

クリスマスに映画けいおん!を放送するらしい、殺す気か。